そもそも議会制民主主義に反対している僕は、選挙そのものを否定しているのだが、現行制度で選挙が行われるという前提に立って考えるなら、少なくとももう少しマシなやり方はあるはずだということをここに書く。
題名はこの通り<選挙カー不要論>だが、選挙のシステム自体をもっと簡素化すべきということの象徴として、選挙カーを取り上げた。
ネット選挙についてはここ数年、特にまさにそのネット上で多数議論されているからここには書かない。
まず最初に書きたいのは、この項の本質から外れることではあるけれど、経済効果優先主義への異論である。
あの悪法のもとに誕生したハッピーマンデーも経済効果云々が謳われているし、選挙に金が掛かるという批判に対しても、選挙自体が経済効果があるという意見もある。
選挙事務所、選挙カー、ウグイス嬢、選挙ポスター等々、お金が掛からないものはない。
それは言い換えれば経済効果だという。
しかし、不要なものを無駄に消費することを経済効果とするのならば、そして、それを経済の活性化と礼賛するのならば、やはり資本主義は滅びればいいと思う。
つまり、選挙における経済効果など不要であり、その労力や資金等は他に回せばよい。
まず、選挙カーでは、<動いている車からは名前の連呼しか出来ない>という規定が公職選挙法で定められているらしい。
これ自体、馬鹿げた法律である。
そんな規定を作るくらいなら、選挙にあらゆる乗り物を使うことを禁止すればいい。
あの連呼が騒音でしかないことは間違いないし、効果などないことも間違いないのに、未だに続いていることが不思議なくらいだ。
そういうことに時間と労力を掛けることを選挙運動とするという発想そのものを転換すべきだ。
選挙ポスターも同様であるが、選挙に金が掛かることの表面的な意味(裏面的な意味はここでは書かない)において、ポスターは製作にも貼って回るのにもお金が掛かる。
このお金は無駄だし、選挙において富める候補者と貧しい候補者の格差が最も顕著に表れるのがポスターだ。
ポスターも廃止にして、役所や役所に準ずる場所に政見放送用にビジョンを常設するとか、それこそネット上に政見放送チャンネルを選挙期間は常設するとか、そういう方法を利用することで個々の候補者の負担も少なくなるし、有権者が情報を得やすくもなるし、候補者の貧富の差や組織力による不平等性が少しは解消される。
だから、逆に、テレビやネットで放送される政党のCMなどは、もちろん禁止されるべきだ。
つまり、選挙期間というのは、候補者は何もしない(何もさせない)というのが理想。
選挙期間というのは、政見放送(テレビ、ネット、各役所のビジョン)や広報を見た有権者がどの候補者に投票するか判断する時間としてだけ存在すればいい。
最後に、もう一度繰り返すが、これはあくまでも現行制度の選挙がこれからも続くという状況での提言であって、僕はそもそも議会制民主主義に反対しているので、選挙自体も廃止すべきだと考えている。
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