ラーメン界で、人間国宝に指定したらいいと思う人物が二人いる。そのうちの一人が味一のマスターだ。
味一は小田原から早川へ向かうJRの線路沿いにある。
カウンターだけ7,8席の小さな店で、街外れにあるのにいつも行列ができている。
勿論、行列ができるから必ずしも美味いなんてことはない。
各地には「行列のできるまずいラーメン屋」なんて幾つもある。
しかし、ここは本物だ。
数年前に旭川ラーメンがブームになった。いわゆるご当地ラーメンブームの一環として。
味一も所謂その旭川ラーメンの系列に入るのだが、ブームの前もブームの後も変わりなく、夫婦二人で切り盛りをしている店である。
ラーメンについては専門誌もあるし、映像メディアで頻繁に取り上げられているし、それぞれの思い入れもあるので、「今更」という話ではあるが、ラーメンの何が僕をここまで引き付けるかというと、結局「感動」である。
「味一」のラーメンは、今までに何度も食べたけれど、いつも感動する。それがどこから来るのかはよく分からない。食べ終わって店の外に出ると、なぜか空を見上げたくなるラーメンなのだ。「あぁ」という嘆声が思わず漏れることもある。
僕は時々「おやじの出汁(だし)が出てる」という言葉を使う。これは勿論褒め言葉である。トリガラとかトンコツとか削り節とか野菜だけが出汁を出すのではない。「おやじ」そのものが出汁を出しているのだ。それは単なる足し算ではなく、パイ包み焼きのパイのようなものである。
ちょっと逸れるけれど、ラーメンは大した事ないが、いい「おやじ出汁」が出ているという店も中にはある。僕はそういう店も嫌いではない。
味一はこの「おやじ出汁」も凄い。カウンターの中でラーメン作りに集中している姿、お勘定の時に「ありやとございやした(ありがとうございました)」と言う時の飄々とした表情、こういうものも含めて一杯のラーメンとして食べているのだ。
正直に書くけど、年配のラーメン職人の方が作るラーメンは、往々にして麺の茹で加減がゆるい。味一でも麺はだいたいやややわらか目である。これを許せるかどうかもその店と食べる側の関係性にあると思う。ただ、一度味一で完璧な茹で加減のラーメンを食べたことがある。それは、本当に完璧なラーメンだった。こういう完璧なラーメンは、一生に一度か二度しか食べることができないんじゃないだろうかと思っている。
まず味一で醤油ラーメンを食べてみてほしい。
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